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どうしちゃったんだよ、お母さん。

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拗らせ実母67歳 近居娘の日記

言葉。

小島慶子さんの『解縛』を読み終えました。
読んでいて、自分の心に突き刺さる言葉を紙に書き写しながら
ゆっくりゆっくりと・・・
(信者?ではないので、ご心配なく)w
また何度も何度も読み返そうと思っています。

いくつかここにそれを書いておきます。
読書感想文は苦手なので・・・w
(著作権?で問題になるのならすぐに消去します。)

・家族に期待をして、夢を持っていました。人は、一生懸命に幸せになろうとして
誰かを追い詰めることがある。何気ない言葉で相手を縛ってしまうことがある。
家族という場では、それが至近距離で日常的に繰り返されるので、
お互いに傷つけあうことにもなります。

・彼らは、私を精一杯愛してくれたし、彼ら自身も精一杯幸せになろうとした。
それの何がいけなかったのだろう?
人が生きるって、そういうことじゃないか。

・私は母の娘であり、母は祖母の娘であり、延々と続く母と娘たちの連なりの果てに
この身がある。

・確かに、何でも自分以外のことが原因で うまくいかなかったのだと思うのが、
人生の眺めは美しいものです。

・どのような関係であっても、愛を伝えるときには、言い方一つで呪いにもなるということを
よくよく覚えておかなくてはなりません。

・母にとって娘は他者ではなく、
自分を受け入れてくれる地続きの安全地帯であって欲しかったのかもしれません。

・「私好みの彼、私が育てた夫」をことさら披露して自分の株を上げようとする女性は
世代を問わずいますが、見ていてこれほど浅ましいものはないなぁというのが
正直な気持ちです。

・女は誰かの神さまになりたいのです。
人を産むことができる女性とは、本当に欲深いものです。

・面倒くさい女のややこしい娘。
それも当然だと思ったとき、私は少し嬉しかったのです。

・人は一方的な理由で誰かを嫌ったり、好きになったりすることがあるのだと、
今の私は知っています。むしろ殆どの場合がそうだと言えるでしょう。
思いもよらないことで悪意を向けられることがある。
それはどんなに気をつけていても、自分ではコントロールできないものです。
人は見たいように世界を見ます。
それを変えることはできないけど、なぜ相手がそのように世界を見たいのかを知ることは、
人間の多様さを探るための役に立ちます。

・誰かに嫌がらせをしてもいい人間なんて一人もいない。
自分が酷い目にあったからと言って、誰かを傷つけてもいいと思うのは見当違いだ。

・人は誰でも、思うようにならないことと出会います。
そのときに、世界の見方を変えることで人生を受け入れようとします。
でもやがて、そのものの見方が自分を縛ってしまうのです。
たとえば財産に恵まれなかった人が、
人間の価値は金じゃないと考えて自分を認めようとするうちに
金持ちは悪人だ、
そうでない自分は、だから疑いなく善人であるというふうに
だんだん視野を狭めてしまうように。
人は必死に世界と折り合いをつけようとして編み出した知恵によって
愚か者になることがある。
それは誰にでも多かれ少なかれあることですから、私は今は、
母によく生き延びたねと言いたいです。

・言葉は受け取る人のものだと思いました。

・何気ない社交辞令でも、受けとった人の思いが強ければ、
それは砂漠で得た泉のように命を潤すものになる。
風景の見え方が変わる、呼吸が楽になる。
言葉を放った人はそれを露ほども知らずに立ち去ったけれど、
何よりも今その言葉を欲していた私にとっては、命の恩人なのだ。

・これまで生きてきた中で、名前も忘れてしまった誰かの冗談や、
二度と会うこともない人の一言が、もしかしたらこの世は捨てたものではないのかもしれないと
思わせて微かな航(もや)いになったことがありました。
ありふれた体験の積み重ねは、人生に期待することを教えてくれました。
そのあてもない期待がどれほど強く私を世界に結びつけてたかを、
私は忘れることができません。

・もしもあなたが私の書いたこの手記を読んで、
忘れていたことを思い出したり、思い出したことを片付けたり、
あるいはただなんとなく毎回時間がつぶせたら、嬉しいです。
人生には、時間をつぶすのにとても工夫が必要なときがありますから。


by space-mocomoco | 2014-03-02 00:00

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